TOCfEのADVENT…ろうそくの物語

©キャシー・スエルケン

(転載者注)本記事は「TOCfE Advent Calendar 2015」の25日目の記事として書かれたオリジナル記事の飛田さん&柴田あっちゃん & その他有志による翻訳です。

「待降節(advent)」の季節はキリスト教的な意味もあります。けれど、「出現(advent)」という言葉は、何か素晴らしいものが来たんだ、とか、始まろうとしているんだ、と感じさせるものです。

そうして、いつも思い出されるメッセージがあります。わたしのTOCfEの旅の始まりを予兆していたメッセージです。

それは13歳の生徒が書いたメッセージでした。

最後の一文にはこのように記されていました。「この先ずっと続く長い旅路に光をくれて、ありがとう。」

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1993年2月のバレンタインデーに、ニコルはこのメッセージを学校のわたしの机の上に残していったのでした。エリ・ゴールドラットという男性に会うためにミシガン州デトロイトへと向かおうとするまさに数日前のことでした。

ニコルのメッセージは不可解でした。一体、何がこう書かせたのでしょう?

何がこの言葉を書かせたのか、わたしにはわかりませんでした。けれど、このメッセージを確かに受け取りました、と返事しなければならない、そんな確信はありました。

というわけで、そのメッセージの意味するところを正しく伝えるものを探して、山ほどの名言集の中をわたしは探し回りました。

こうして、エリとジョナ(訳者注:”TOC思考プロセスの認定を受けた人たちのこと”)達との初めての出会いを経験する中で、このEdith Whartonの名言がわたしの記憶と魂に刻みこまれたわけです。

1992年のクリスマス25日まであと数日というアドベントカレンダーの時にエリからかかってきた一本の電話が、わたしのジョナ・カンファレンスへの旅の始まりでした。

その年の初めごろ、わたしは感謝の手紙をエリに送っていました。その手紙で、わたしは自分がどのように『ザ・ゴール』の本にあったコンセプトを生徒たちに使ったかを伝えました。

その手紙がジョナ・セミナーへの奨学金に化けたわけです。

身に着けたばかりのジョナの知識を中学生相手にどのように使ったかについて、300人の経営者に向かってプレゼンしてください、と依頼された時には、わたしにはそんなことをやる自信はまったくなく、不安そのものでした!

しかし、そのイベントの直前にニコルからもらったメッセージが、わたしに勇気とインスピレーションを与えてくれたのでした。

そしてまた、「失敗するのが怖い」ということに対する中間目標が、「このプレゼンは自分のことを話すプレゼンではないことを思い出すこと」だと気づくとホッとできました。

わたしはただのメッセンジャーに過ぎませんでした。カンファレンス参加者へのメッセージに集中する必要がありました。そのメッセージとは、子供達がどれほど学びを渇望しているか、そして、良心からの行動には良心でこそ応じようとするその熱心さがどれほどのものか、ということでした。

プレゼンテーションには、この素晴らしい事実を伝える完璧な事例がありました。それは、最近あった、子供たちへの授業の話でした。TOCという贈り物をすべての子供たちに何とかして贈り届ようとした、素晴らしい人物が持っていた優しさを説明しようとする授業でした。

『ザ・ゴール』を読んでからいうもの、授業スタイルによりソクラテス式な方法を取り入れるべきだと自覚するようになり、わたしは生徒たちへ質問することで授業を始めました。「誰かがあなたのことを信じているのだと納得できるとしたら、一体どうやって分かるのでしょうか?」

生徒たちは考えて次のような答えをしました:

「その誰かが、信じていると言ってくれている」
「その誰かが、実際に信じてくれている」
「その誰かが、成長の手助けをしてくれている」

一言一句違えずにその返事をスライドに書き写し、それを持って、ジョナ・カンファレンスの聴衆に見せました。11歳12歳の子ども達の誰も、「アメとかお菓子とかちょうだい」などと言わなかったことも付け加えておきます。深い確信とともにわたしは言いました。「なぜならば、人生においてかけがえのないものというのは物質的なものではないということを、この子たちは直感的に知っているからです。そのかわりに、子どもたちは、価値あることのリストをくれたのです。」

その瞬間、私は、聴衆と共に子ども達から学んでいました…

子ども達は実例で私たちに教えてくれました…子ども達こそが指導者でした!

聴衆は夢中で聞き入っていました。イベントを通してのその反響は圧倒的でした。

大勢の人がわたしのところに来て、「TOCが子供たちに適用できるとは夢にも思わなかった。このカンファレンスの期間、ビジネスの問題に取り組む代わりに、自分の学校のシステムに対してTOCを適用することに取り組みたい」と言いました。

子供たちのところに戻るために、わたしはイベント途中で帰らないとならなかったのですが、人間の本質に関する共生の学習曲線について自分の考えを述べる必要を強く感じました。エリの許可を得て、わたしは次の言葉を述べました。それはニコルへの返事の中で引用したものです。

「学校のビジョンについて、市民団体に対してわたしはスピーチをずっとしてきましたが、そこから私が学んできたのは、ビジョンは山の頂上からの眺めではない、ということです。そうではなく、ビジョンとは旅をする過程で学ぶものなのです。これこそが、あなたから学んだことです。Edith Whartonによると「光を照らすには二つの方法がある。ろうそくになるか、それを映す鏡になるか」。ですから、もし、今この瞬間にわたしが鏡を持つならば、結果として、あなたは自分がろうそくを持っていることに気がつくでしょう。」

ナイスビルに戻って2日後、わたしは校長室の外に座っていました。Goldratt Instuituteが私たちの学区のために特別なジョナプログラムを寄付することを決めたというニュースを共有するためでした。

控室で待っていたとき、午前8時の早朝の打ち合わせに急いだために、ドレスの一番上のボタンを留めていなかったことに気がつきました。

ボタンを止めなおそうとしたその時、ふと上を見上げてみると、天井照明の修理をしていた作業員がすぐそばでわたしをはしごから見下ろしているのが見えました。

わたしは恥ずかしくなって立ち上がり、部屋を出て、長い廊下の方へと向かいました。なるべく人目につかないところを探して、建物にいる人から見えないように数歩退きました。

ボタンを直し終えて、わたしは真正面の壁を見上げました。思っていたのとは違って、そこは建物の誰からでも見える場所でした。どうやらわたしの認識はまったく見当違いだったようでした。

そこでわたしが目にしたものはとても象徴的で意義深いものでした。もしボタンのことがなかったら、この訪問の最中にこの場所に移動してきて、それを目にすることはありえなかったでしょう。これは神様がくれた巡り合わせというものでしょうか?あるいはこれこそ、エリがいつも電話で言っていた「シンプルさを探求しなさい」ということなのでしょうか?

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わたしは美術コンテストにエントリーしていた9歳の生徒の絵を見つめていました。

ろうそくを映す鏡の前に立てられたろうそくが描かれた絵でした。その2日前にエリとジョナ達に話していた言葉をそのまま視覚的に表したものでした。

もちろんわたしはその絵を見て衝撃を受け、呆然としました。校長室に戻りながら、絵の場所を伝えなければならない、そうしたら校長先生もこの重要性を経験するだろう、と考えていました。

校長先生はその通り衝撃を受けて重要性をわかって、女の子の両親に電話をして連絡をとらせてもらえるようにお願いしましょう、と言いました。

そのおかげで、Rheaがどうしてその絵を描いたのか聞くことが出来ました。その答えはこうでした。「うちのリビングには小さいテーブルがあって、そこにはろうそくがおいてあるの。それで、もし鏡の前においてみたらどんな感じかな、って思ったの。鏡に写ったろうそくがどんなふうに見えるか想像しなければならなかったのよ」

RheaとはWin-Winの取り決めをしました(^^) その絵はそれからずっと、素晴らしい「始まり」の象徴としてTOCfE本部のリビングの目立つところに掛けられています。いろいろな国からのTOCfEの訪問客がこれを目にしてきました。

わたしにとってはそれは、「わたしたちの旅」となった旅の始まりを象徴しています。なぜならば、あなたこそが今、誰かのために道を照らしているのです。

より良い世界に続く、終わりのない旅の道すじを。

キャシー・スエルケン
フロリダ州ナイスビル
2015年12月25日

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